轆轤首(ろくろくび) 四十七
May 14th, 2013さて、それ故に伸縮自在となった首を持つ轆轤首は、現代に過剰適応した事で、首のみで構はぬと開き直る事で《吾》なる袋小路の状況を打開するべく、轆轤首は、
――《吾》、轆轤首なり。
と宣言する事に為ったのである。
轆轤首が轆轤首であると開き直る事でしか、現在といふ苦境を乗り越えられぬ事が一度理解されると、生き延びる為には、轆轤首に変化するのが利口《もの》のする事だと嘯きつつも、《存在》の居心地の悪さが不安でならないのである。意識と肉体の絶望的な乖離の埋め難さに《吾》は唯唯、溜息を吐くばかりで、既に収拾不可能なこの意識と肉体の絶望的な乖離を目にする度毎に轆轤首は、唯、茫然とするしかなく、また、だからと言って何をする訳でもなく、為す術なく、《吾》の現状を渋渋と受け容れるのであるが、しかし、轆轤首たらむとする《吾》ではある一方で、轆轤首である事に不慣れな《吾》は、さて、最早、足下すらも見る事が不可能になりつつある中、後ろを振り返る事に堪へられず、只管に前のみを睨み付けながら、首のみを更にぐっと伸ばすのである。《吾》は然しながら、それが《吾》の壊滅を早める事であるとは、漠然と感じながらも、最早、前進することが已められないのである。それは、例へば時間の不可逆性と同じ種類の《もの》に違ひなく、轆轤首と一度、居直った《吾》は、最早、《にんげん》に戻れないのである。そして、此の世は「現存在」の怨嗟で満ちる事になったのである。何処も彼処も、
――《吾》は何処か?
といふ、最早、誰にも答へられぬ問ひを発しながら、首のみをぐっと伸ばし続けて、遂には《吾》の肉体を見失ふのであった。つまり、《吾》の出自は現代では行方不明となってしまったのである。
――《吾》とは《吾》だ!
と、尚も頑強に主張する《もの》も、それではその《吾》とは何ぞや、と問はれてみると、何《もの》も最早、答へに窮するのである。つまり、此の世の一番の謎は、《吾》と為ってしまったのである。そして、《吾》の内部では、
――うふっふっふっふっ。
と、ほくそ笑む何《もの》かが不意に現はれて、《吾》をからかひ始めるのであった。
――《吾》とは如何程の《もの》かね? ちぇっ、それすらも解からないとすると、《吾》とは、随分蒙昧になったもんだ。ほれ、《吾》を喰らってゐろ!
と、闇が差し出されたのである。差し出された方は一瞬茫然と天を仰いだのであるが、しかし、ままよ、と、その的を射た答へに感服し、
――成程、《吾》とは闇に違ひない。
と、その闇にしゃぶり付くのであった。そして、その闇の味といったら、無味乾燥で《吾》とは何と不味い《もの》なのだらう、と今更ながら気付くのであった。
さうなのである。《吾》は不味い闇に外ならないのである。それは、まるで綿菓子を絡め取る如くに眼前に差し出された闇を絡め取り、そして、ぺろりと嘗めるのである。そして、
――何ぢゃ、こりゃ?
と、《吾》の不味さに目が眩むのである。その伸ばし過ぎで、遂に《吾》を見失ってしまった《吾》に差し出された闇の不味さに、
――この闇から果たして《吾》なる《もの》は生まれ出づるのか?
と訝りつつも、それでも何かが生まれるかもしれぬと淡い期待を抱きながら、闇を喰らふのである。さうする事でしか、《吾》が《吾》である不安から遁れられずに、これもまた《吾》に為る修練だと肚を据ゑて、只管に、《吾》なる轆轤首は闇を喰らふのであった。
(四十七の篇終はり)
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夢魔 二十
May 13th, 2013翁の相好を崩し、満面の笑みを浮かべながら夢魔は、こんなに楽しい事はないといった風に哄笑するのであった。そはして、
――しかしぢゃ、お主の脳が休まるnon-REM睡眠中に自在なる《吾》を体感してゐた筈ぢゃて。
――否! 《吾》は不自由なる《吾》を体感してゐたに過ぎぬ。
――さて、それはまたどうしてさう看做せるといふのぢゃ?
――答へは簡単さ。《吾》は相変はらず蒲団の上にかうして横たはってゐるからさ。つまり、《吾》は自在に何処となりに夢遊病者の如く、ふらりと歩き出さねばならぬのさ。
――夢遊病者が徘徊するのは、non-REM睡眠時と相場が決まってゐるぢゃらうて。お主の意見に従えば、脳なしの肉体が、つまり、Guillotine(ギロチン)で首をばさりと斬り落とされた肉体が、首の切り口からびゅうっと血を吹き出しながら、何処へかゆらりと歩き出す《吾》といふ《もの》を夢見てゐるといふ事になるが、しかし、それぢゃ、《吾》といふ《存在》は身も蓋もないぢゃらうて?
――さうかな。《吾》に意識があるなしに関係なく、《吾》なる《もの》は絶えずゆらりと首なしのまま、此の世を彷徨してゐるに違ひないと思ふがね。
――ふほっほっほっほっ。本当にさう思ってゐるのかね?
――勿論! 《吾》なる《もの》は首なしでも肉体は自在に、ちぇっ、つまり、首なし故に自在に彷徨出来るのさ。
――しかしぢゃ、首なしといふ事は、詰まる所、《吾》の《吾》からの解放を意味はしないぢゃらう。それは、《吾》の《死》のみが待ってゐる三途の川を渡る《もの》でしかない!
――別に首なしの《吾》が、三途の川を渡っても、それが永劫ならば、その首なしの《吾》は自在な筈さだ。
――ふほっほっほっほっ。三途の川を渡るのが永劫とはこれまた傑作ぢゃて。だが、お主は結局、non-REM睡眠の時間を感知出来ぬのぢゃらう?
――つまり、それは《吾》は、《吾》の呪縛から遁れられなかった証さ。
――では、今、夢遊病者の如く、徘徊すればいいぢゃらう?
――意識がある時に彷徨したからといって《吾》は《吾》から自在に為れる筈がなからう。
――さて、さうかな。ふほっほっほっほっ。
と、夢魔は更に楽しさうに哄笑するのであった。その翁の面は相変はらず落陽時の太陽のやうに茜色の光を放って、私の眼前に確かに《存在》してゐたのであるが、夢魔は、私が幾ら手を伸ばした処で、天空の星星の如くに手が届かぬ処にゐるに違ひなかったのである。
――しかし、私は、寝惚けて夢遊病者の如くにふらりと歩き出した事が何度となくあるが、その時に《吾》は全的に《吾》であって、《吾》は《吾》から自在であった例はなかったぜ。つまり、四六時中、《世界》は《吾》のみに対峙するのさ。
――其処に《他者》はゐないのかね?
――ああ、いない。《吾》以外その《世界》には何《もの》も《存在》しない。
――では、お主は、その時、全知全能の《もの》として、《存在》を造化する《もの》として、《世界》に《存在》してゐなかったのぢゃな。
――勿論。全的なる《吾》は途轍もなく不自由な《吾》でしかなかった。そして、《もの》は私の意識とは無関係に、発生しては自己増殖するばかりの奇妙に歪んだ《世界》に《吾》はゐたのだ。
(二十の篇終はり)
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幽閉、若しくは彷徨 百七十八
May 12th, 2013――ならば、此の世は現実、或ひは《世界》に溺れた溺死人の死霊ばかりといふ事だが、ちぇっ、《存在》はそもそも死霊でしかないか!
――さう。此の世は死霊天国なのさ。
――さうすると、《存在》が《生》を求める事自体が矛盾してゐるといふ事かね?
――いや、別段、死霊どもが《生》を求めてもそれはそれで結構ではないかね。とはいへ、殆どの死霊どもは《死》の中にある事に胡坐を舁いてゐるけれどもね。
――つまり、此の世の主流は生きてゐる屍といふ事だね?
――さう。何処を向いても見えるのは生きながら死んでゐる死霊どもでしかない。それも、悪い事に死霊でゐる事を正当化しようと、つまり、居直ってゐる事なのさ。何故って、本来、《生者》が《存在》する筈の此の現実に、現実に溺死した死霊ばかりが《存在》する矛盾を、ちぇっ、この論理が矛盾してゐるな。さっきは此の世は圧倒的に《死者》が多いと言っておきながら、今度は現実に溺死した死霊とは、これこそ矛盾の極みだ。
――へっ、矛盾してゐるかね? 何処が矛盾してゐるゐるといふのかね?
――つまり、此の世は、《生者》よりも《死者》の方が圧倒的多数なのに、それから少数派の《生者》を掴まえて、死霊呼ばはりする矛盾を《吾》ながらをかしくってね。
――それの何処が矛盾してゐるのかね? 私に言はせれば此の世に《生者》は未だに《存在》した事はないとしか思へぬがね?
――それぢゃ、かうして議論してゐる私とお前も《死者》かね?
――勿論! 死霊でなくて何とする?
――へっ、遂に本音が漏れたね! お前は死霊として《生》を終へる気なのさ。つまり、《死》が怖くて仕方がないのさ。
――否! 私は《死》など、これっぽっちも怖くない! それ以前に、私は、《吾》を見失ってしまった故に死霊でしかないと《吾》の事を看做してゐるがね。さういふお前こそ、《生者》たらむとした事がないくせに!
――当然だらう。此の世に《存在》する《もの》が何であれ『《吾》は《生者》なり』と胸を張って言へる《存在》が《存在》する矛盾に気が付かぬ筈はないからね。
――《存在》は《生者》ではないかね?
――勿論! 《存在》は《未生》故に《存在》なのさ。
――《未生》?
――さうさ。《存在》はそもそも《未生》な《もの》さ。
――それは至極当然の事に過ぎぬ。《存在》が生まれ出でる前に《未生》でなくして、どうやって《吾》は此の世に出現したといふのかね?
――否! 《吾》とは未だ此の世に出現してゐない《未生》の《もの》のままなのさ。
――それでは、《未生》と死霊の違ひは何なのかね?
――何の違ひもありはせぬさ。
――つまり、《吾》なる《もの》は常に《未生》故に《死》はそもそも《存在》しないといふ事だとすれば、現実、或ひは《世界》に溺死した死霊とは、単なる気の所為でしかなく、《吾》を観想すれば、それは絶えず《未生》の《もの》でしかないといふ事だね?
――否! 《未生》と《死》の位相はぴたりと重なる、つまり、円環状の何かなのさ。
――ふっ、何を言ふかと思へば《未生》と《死》の位相が同じと看做す愚行を行ってゐるに過ぎぬではないか。それぢゃ、端から矛盾してゐると言ってゐる事と同じだぜ。
(百七十八の篇終はり)
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轆轤首(ろくろくび) 四十六
April 22nd, 2013現代とは首のみ重宝される無慈悲な時代なのである。「現存在」は絶えず実験動物の如く常に更新されゆく文明の利器に囲まれた流動的な《世界》に置かれ、その《存在》を無理矢理試されるのである。其処で適応出来なければ、それは既に無能《もの》としての烙印が押され、《世界》に潰される《存在》なのである。それ故に「現存在」はこの首のみが重宝される時代に過剰適応して見せることで、自身の存在価値を測る尺度にしてゐたのである。その結果、「現存在」は轆轤首と為って、此の世を浮遊し始めたのである。嘗ては、「現存在」の闊歩する跫音が聞こえた街には既に「現存在」の跫音はなく、不気味に首のみがぬっと伸び行く奇怪な《世界》が出現かする事に為ったのである。何処も彼処も首、首、首なのである。
「現存在」の全てが人力を超えた時点で、「現存在」は轆轤首に為る事を宿命付けられてゐたのである。「現存在」はそもそも人力以上の事象に対して戸惑ふばかりで、しかし、慣れといふ《もの》は恐ろしい《もの》で、人力を超えた《もの》に包囲されると「現存在」はそれに見事に適応して見せて、そんな物騒な《世界》、つまり、移動するにせよ、建物を建築するにせよ、仮想現実に遊行するにせよ、そのいづれもが「現存在」を《死》へといも簡単に追ひやり、その時、死亡する「現存在」は人力以上の負荷がかかるので、その死体は無惨な《もの》となる外なく、それでも、「現存在」は高度科学技術文明、且つ、高度情報化社会に順応する事ばかり強ひられるのである。それが異常な事は、誰にとっても暗黙裡に了解されてゐながら、誰もが最早事挙げる事を断念し、誰もが《世界》の変化を文句も言はずにそれをすんなりと受け容れるのである。それが、どんなに虚しい事であらうがである。
さて、首のみをぐっと伸ばした轆轤首の「現存在」は、己の事を鑑みては己にぽっかりと空いた間隙に何時でも陥落する危ふさもまた持たざるを得ず、《吾》が闇に包まれた深海の水底に屹立する古木と看做す事で、辛うじて《吾》を保持する事が可能で、しかし、その実は、《反=吾》、若しくは《異形の吾》にきりきりと締め上げられ、盆栽の古木に過ぎず、己を過大評価せずば、この人力を超えた《世界》では生きてゆけないのである。何事をするにも人力を超えた《もの》によって《吾》は《吾》の事を誇大化する事で、やっと精神的平衡を得てゐるのである。
世はSpeedの時代である。そのSpeedは既に人力を超えて久しいが、其のSpeedに堪へられない「現存在」は、容赦なく取捨選択されて、Speedの世に巧く適応出来た「現存在」のみが、掘っても掘っても湧いてくる時間に翻弄されたSpeedの時代にせせこましく生きるのである。それに見事に適応したのが轆轤首の「現存在」で、肉体は既に世のSpeedに付いてゆけず、首のみが、つまり、意識のみがSpeed狂時代に適応する外に「現存在」の《存在》はあり得ない筈なのである。
例へば、自動車に対して肉体は適応出来ず、事故が起きれば、肉体は無惨な死体を晒すのみで、さて、その時は意識もまた、絶命するのであるが、しかし、《吾》といふ《念》が永劫に《存在》すると敢へて看做すと肉体と精神の齟齬は現代程酷い時代は有史以来初めてに違ひなく、それ故に、意識のみが肉体から離れた轆轤首の《吾》が出現する事に為ったのである。とはいへ、「現存在」は《吾》が轆轤首である事は露知らず、今尚、肉体と精神は太古の昔より此の方一切変はらずに《存在》してゐると思ひ込み、何の根拠もない先入観の中に安穏としてゐるが、しかし、その実は、首と胴体は伸び切る迄に伸び切った危ふい状態にあり、精神は肉体から何時でも分離するべく、肉体の隙を狙っては、絶えず首をぐっと伸ばして、肉体を置いてきぼりにする事を目論むの《もの》なのである。
(四十六の篇終はり)
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或る単独者の憂鬱 六
April 21st, 2013――さっきは因果律が壊れてしまってゐると言った筈だが、その舌が乾かぬうちに、もう、不可逆的だといふその矛盾を何とする?
――何も矛盾なぞしてゐないぜ。死とはそもそも理不尽な《もの》だらう? 理不尽故に死は単なる物理的な現象でしかないのさ。死が物理現象故に「現存在」は死を甘受するのさ。
――それでは、死しても尚、意識は《存在》すると?
――いや、意識は《存在》しないだらう。しかし、《吾》といふ《念》は死しても尚、《存在》する筈だ。いや、意識も尚、《存在》してゐるのかもしれぬな。何故って、死者もまた、私の頭蓋内に現はれ、かうして私は、死者と話してゐるからね。
――私が死者とは限らないぜ。
――私を揺動しようとしても無駄だぜ。君は、私に死者だと言明してゐるからね。
――それが嘘だとしたら?
――別にそれでも構はぬ。所詮、夢に過ぎぬのだからな。夢において「私」は何《もの》とも理解可能な奇怪な《存在》に変貌してゐるのでね。そもそも夢語り程下らぬ《もの》はない。
――何をか況や。それでは何故に夢語りを敢へてするのかね? 君こそ矛盾してゐるだらう。
――矛盾せずば死は語れぬだらう。
――つまり、死は生にとって超越した何かなのだらう?
――否! 死は生と地続きさ。唯、死後が生から相転移してゐるだけさ。
――相転移?
――つまり、肉体は死しても尚、意識、或ひは《念》は、永劫に《存在》するのさ。
――それは迷妄に過ぎぬぜ。
――別に迷妄でも構はぬ。それでも、私は、他者に、見も知らぬ他者に出遭ふのでね。
満月は今も尚、皓皓と照ってゐるこの深夜の夢舞台は、墓場を清澄に際立たせ、月明かりは私とその誰とも知れぬ墓石の上に漂ふ彼とを照らすのみであった。其処は、私と彼以外に物音一つしない静謐な時間が流れるのみであった。
――それでは君と 出遭ったのは偶然かね?
――多分、懼然だらう。
――それは異な事を言ふ。偶然ならば、私は君の夢などに連れ出される筈はなかったぜ。
――何を言ふ? 君は私の出現を待ち望んでゐたではないかね。それを知ってしまった私はその願ひを叶へるべく、かうして君を私の夢へと連れ出したのさ。
――それが矛盾してゐるのさ。私は、別段、君と出遭ふ事を望んでやしなかった。唯、私は、『《吾》とは何ぞや』と自問してゐたかったに過ぎぬ。
――その問ひは、君独りでは答へが見つかる筈はないだらう。
――そんな事は百も承知さ。だが、独りでする外にない問ひなのは間違ひない。唯、死霊の通り道と化した《吾》の其の状況を楽しんではゐるがね。
――何故に、夢で出遭ふ他者が死者と思ふ?
――ただ、何となくさ。
――ふっふっ。唯、何となくね。
――所詮、夢ならば、別にそれで構はぬだらう。夢は現代では《存在》の本質に触れる道具には為り得ぬのだから。
――つまり、夢は暇潰しでしかないと?
――当然だらう。
――それ以前に夢において《吾》はやっと《吾》である事を知るのさ。
――《吾》である事を知るとは?
――全肯定する夢においてこそ、《吾》は自在とも言へる。夢において摩訶不思議な《世界》に抛り込まれても《吾》は、それを全て肯ふだらう。その時に辛うじて《吾》は《吾》である事も肯定出来るのさ。
(六の篇終はり)
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